クロモリに戻る理由


【生成AI記事】この記事はChatGPT等の生成AIを用い、パーソナリティとテーマをプロンプトとして生成したものです。そのため、文章に不自然なところがあるかもしれません。ご了承ください。

最初に乗ったのは、アルミのクロスバイクだった。

駅までの通勤と、休日に少し遠回りして帰るくらい。気分転換の道具、くらいにしか思っていなかった。

でも、ある日ふと、多摩川沿いのサイクリングロードを下流まで走ってみようと思い立って──それが、自転車という乗りものにちゃんと向き合うようになったきっかけだった。

走りながら考えごとをしたり、考えるのをやめたり、立ち止まって橋の下の影に入り込んだり。

ただ「走る」という単純な行為の中に、いろんな余白があることに気づいた。

それからANCHOR RNC7を買った。はじめてのドロップハンドル。はじめてのクロモリ。軽快でも、俊敏でもない。だけど、どこか落ち着く乗り味。踏み込んだ力がそのまま返ってくるのではなく、すこし“にじむ”ような、あいまいな応答。

絶版モデルとなったブリヂストン「ANCHOR」のRNC7 photo_ブリヂストンサイクル

それが妙に自分の呼吸に合っていた。このときの感覚は、今でもはっきり覚えている。

でも、そうして数年が経ち、RIDLEY Fenix に乗り換えた。

きっかけは、登り坂でふと感じた「もう少し軽いバイクがあれば」という思い。RIDLEYは見た目以上に反応がよく、登りも下りもスムーズだった。イベントにも出て、朝の峠を走って、輪行で遠出もした。

それまでそれほどスピードを意識したことはなかったけど、自分の走りに“速さ”が含まれていることを、少し誇らしく思えるようになった。

ただ、それが続いていくと、いつの間にか「どこまで走ったか」や「何分で登ったか」が気になる。数字が増えるたびに満足もするけれど、それと同じくらい、自分が“走っている実感”を少しずつ失っていった。

そんなある日、街の小さなショップでCOLNAGO Masterを見つけた。
ラグの彫刻、光沢のある塗装、張りのあるホリゾンタルフレーム。
古いのに、なぜか古びていない。静かだけど、主張がある。

COLNAGO Master photo_アキボウ

気づけば通うようになっていて──結局、迎え入れた。

今では、RIDLEYとCOLNAGOの2台体制。
RIDLEYは、ちょっとだけ速く走りたい日や、峠に登りたい日に。
COLNAGOは、街を流すときや、寄り道ありきのロングライドに。

クロモリに“戻った”というより、自分の中にあった「静けさ」をもう一度取り戻しにいった感じかもしれない。ペダルを回しているという感覚よりも、風の音、路面のざらつき、誰かの暮らしの匂い、そんなものが自然と身体に入ってくる。

クロモリが好きな理由を挙げるとすれば、
「主張しすぎないのに、ちゃんとそばにいてくれる感じがするから」
……となる。

ペダルを回しているあいだ、無理に気持ちを高める必要もないし、走ることと考えることが、自然とひとつに重なるように思う。

いまの自分には、そういうリズムが、ちょうどいい。

リンク: MASTER|COLNAGO コルナゴ